認定企業の声

樋口メリヤス工業 株式会社

1人1人にフィットする靴下を届けたい
まっすぐな思いを貫いて、脱・OEMへ

樋口メリヤス工業株式会社

代表取締役
中江 優子 氏

靴下業界の常識を覆す発想で
オンリーワンの製品を開発

樋口メリヤス工業は創業1933年の靴下製造工場。中江優子氏はこの会社の三女として生まれ、創業者の祖父からは7代目社長になる。「靴下は安くて当たり前」という時代、大手企業の下請け製造がほとんどだったが、工場をフル稼働しても利益を上げることは難しかった。長い靴下製造の中で、「かかとがずれる」「しめつけがきつい」など、お客様の靴下に対する声を聞き続けてきた中江氏は、「消費者のために靴下を作る」という本来の目標を果たそうという想いから、自社ブランドを立ち上げることを決意。靴下製造の立場からは思いつかない発想だが、1人ひとりに合わせて作ったような履き心地を目指した結果、かかとのない、まっすぐな筒状の靴下が誕生した。

「つつした」の一番の特徴は「かかとがない」こと。さらに、肌に触れる裏地には優しい天然素材を使い、伸縮性や耐久性が必要な表糸には、織りあげるのに高度な技術が必要な高級糸を使用。履き口にもゴムを使用していないので、締めすぎず緩すぎず、跡も付きにくい。その結果どんな足のサイズにも沿いやすい、極上のフィット感と履き心地が得られる一足が完成した。

2017年に販売を開始した当初はファッションアイテム寄りで、若者層がメインターゲットだった。しかし実際に販売してみると、「つつした」の登場を歓迎したのは、足元に困っている人たち、例えば、左右での足の大きさが違う、視覚障がいを持っている、冷え性など、既存の靴下にお困りごとを抱えている人たちだった。当初のターゲットとは違えど、「つつした」を求めていた人がたくさんいたことは、大きな発見と喜びになった。

「大阪製ブランドのイベントで梅田ロフトでの販売が決まった時、テレビでちょこっと紹介されただけだったのにご年配の方が売り場に並ばれて、販売スタッフさんもびっくりされていたようです」。ロフトの催事場はまるで中江氏のサイン会状態さながらの大行列。「遠方からのお客さんが来店された時に商品が売り切れて、今から作って明日持ってきます!と徹夜で作ったこともあります」

ほとんどの催事場に中江氏自らが立ち、1人1人への誠実な対応で、ファンを確実に増やしてきた。「お客さんの声を聞いて、作っては変更し、作っては変更。細かい試行錯誤ができるのも、小さい会社ならではの強み。量産工場にはないスタイルでやっています」

かかとのないまっすぐな形状でどんな足にもフィットする。「タイトタイプ」「リラックスタイプ」「ワイドタイプ」の3種類のほか、5本指くつしたや子ども用つつした、ベビーなどお客様のニーズに合わせて種類豊富に展開。

OEM生産を終了し、自社製品製造へシフト
工場兼店舗「つつしたLABO」もオープン

「つつした」が軌道に乗り始めたころ大阪製ブランドに認定され、中江氏の周りはにわかに忙しくなった。「メーカーって、いいもの開発したで終わってしまうのですが、大阪製ブランドにチャレンジさせてもらって、催事に出るようになり、バイヤーさんにも見つけてもらい、さまざまな店舗で販売できるようになりました。

大阪製ブランドに認定していただけたことはすごい強みです。商品の大きな信用の一つになっているし、お金に変えられない価値のあるものです。大阪製の冊子もとてもきれいな冊子なので、営業ツールとして活用しています。行政のお墨付きというのも大きいですし、大阪製ブランド=日本アピール にもなります」
大阪製ブランド認定後、つつしたは数々のメディアに取り上げられ、百貨店の催事などでも売り切れが続出。取り扱い店舗も増えた。
しかし、つつしたを作れる機械は台数が少なく、2,3か月待ちということも少なくない。そこで中江氏はある大きな決断をする。それは、会社の柱であるOEMを手放すこと。

「もちろん売上も量もOEMのほうが大きいです。でも、かかとがある量産靴下は大手がやってくれる。それはそこに任せて、私たちしかできないことを突き詰めていった結果でした」。決断したのは、つつしたを販売して2年が経った2019年。つつした製造に集中することはできたが、OEMほどの売り上げを出すことは難しく厳しい状況が続いた。

しかし、「つつしたを必要とする人に届けることが使命」という信念が変わることはなかった。2020年には、工場兼店舗の「つつしたLABO」をオープン。入り口はカフェにして、モーニングも始めた。「喫茶と接客と製造のすべてをこなさなければいけないから、スタッフは大変だった思います」

一番の問題はコミュニケーション。中江氏は根気よく「カフェに来られたお客様につつしたのよさを伝えてほしい」とスタッフに伝え続けた。その結果、今ではスタッフから楽しいと声があがるようになった。「つつしたを通じてお客様の声を直接聞けることがスタッフのやりがいに変わっていきました。

そして、店舗に来るお客様と深い仲になれるのも良い点。あれもこれもやらなくちゃいけなくて大変だと思いますが。スタッフとのやりとりはSlack(チームコミュニケーションツール)で、毎日顔を合わせないスタッフともお客様の声を共有しています」

大阪製ブランドに認定され、百貨店の催事などに飛び回ったことや、つつしたLABOができたことで、思いがけない相乗効果も生まれた。「新しい機械では、お客様に糸を選んでいただいてオリジナルを作れるのですが、大阪製ブランドの催事で製造体験付きの商品を販売したことがきっかけで、百貨店のスタッフさんが4名でオリジナルのつつしたを作りに来てくれたんです。

製造工程をすべて説明させてもらって、理解してもらえて、その上で店頭に立ったら売り上げが上がったといううれしいお声もいただきました。バイヤーさん自身に作っている現場を体験してもらうことはすごく大きいです。オリジナルを作られた方は他のつつしたも買って帰られるので、売り上げ単価が上がるという相乗効果もありました」

つつしたを作っている編機。古いが現役。さまざまなデザインのつつしたを自由自在に製造できる。

バングラデシュ出身のご主人、
息子たちにも思いを馳せ、新たな夢へ挑戦

「実は早く引退したいのですが、やりたいことはたくさんあります」と笑う中江氏。跡継ぎ予定の次男は、同業の大手メーカーで靴下製造の修業中だ。「次男が若いうちに自分の土俵を作ってもらって、私はバックに行きたい。もちろん応援はしますが」。

中江氏が、表舞台から降りたい理由はほかにもある。
それは、「つつした」で発展途上国の人の役に立つこと。現在、原料のコットンが高騰していて、仕入れは商社からのみ。しかし海外にはさまざまな原料があるという。そこで中江氏自ら海外へ原料を見つけに行き、現地の女性をメインにした雇用を発生させるという夢だ。

「以前はネパールを視野に入れていたんですがご縁がなかったみたいで。その後バングラデシュ人の主人と出会ったので、それにも意味があると思っています。バングラデシュの人は日本が好きで、日本に憧れている人が多い。日本のものづくりに憧れて日本で働きたい人の架け橋になるのを夢みながら、日々頑張っていきます」

海外で雇用を支援して、原料の調達までつなげることが、これからの中江氏の目標だ。「そこまで生きているかどうかわからないけれど(笑)、種を撒きたい。そして主人のお母さんに日本人と結婚してよかったと思ってもらいたい。それが、日本人として繊維業界で生まれた私の目標です」

さらにアメリカでの留学経験を持ち、東京のIT企業で働く長男にも夢を託している。「長男と次男は性格も違うので、どこで出会うかわからないんですけど。長男はアメリカに行った時に日本で働きたい優秀な人たちをいっぱい見ている。だから人材をインターナショナルにしたいんです。将来的には店舗の隣にインターナショナルハウスを作りたい。実際今年の4月から外国人の男性が1名入社して、製造と貿易をやってもらうのですが、先々長男の事業とも絡むと良いなと思っています。兄弟がうまくやってくれたら私は安心して引退できます」

ご兄弟が絶妙なタイミングで出会い、中江氏の思い描く未来へと、ともに歩んでいく日が待ち遠しい。


元々レストランだった空き店舗を工場兼店舗に改装。自分だけのつつしたをワークショップで作成できる。カフェで30分お茶を飲みながら待っている間にオリジナルつつしたが完成。